あなたのお父さんはまだお元気ですか? お父さんと一緒に暮らしたことはありますか? 「お父さん大好きだよ」ってちゃんと伝えたことがありますか? 悪いことをしたとき、「ごめんね」って言いましたか? 今日は私の父のことについて書きます。

子どもが父親と一緒に暮らさないで成長していくってことは、大変なことですよね。さらに、父親が亡くなってしまって、もう二度と会えないのだとしたら・・・子どもにとってそんなつらいことはありませんよね。私の父は、完璧な人ではありませんでした。彼にはたくさんの欠点があったんですが、それでも私は父が好きだったんです。

私がまだ幼いころ、私の両親はいつもけんかばかりしていました。父は、私たちが見ている目の前でさえ、母をなぐったり蹴ったりしていました。私はそんな両親の姿を見て、いつも泣いていました。父は母を泣かせ、母の体にたくさんの傷をつけ、私は父をいっそう憎むようになりました。

だけど父の存在を失うことはつらいことでした。父がいなければ、つらいことがあったときにそばにいてくれる人がいないんですから・・・。両親が私を田舎の祖父母に預けてしまったとき、私は父と母の両方を憎みました。今思えば・・・本当の両親を憎むなんて、悪い子だったと思います。だけど、祖父母が私たちに愛情を注いでくれたので、祖父母にはとても感謝しています。

母はときどき私たちの生活費を届けに町から田舎に帰ってくるんですが、あるとき私は母の体に父からつけられたたくさんの傷があることに気づきました。でも、母はそれでも父との生活をやめなかったんです。それは父をそれだけ本気で愛していたからだと思います。

私たちになにか特別で大事なできごとがあったときでも、両親はお金を送ってくれるだけでしたが、私たちには「父や母がどこかにいる」というその存在が必要でした。そして、その後・・・、父は私たちの元から去り、愛人と一緒にどこかへ行ってしまいました。・・・にもかかわらず、あろうことに母はそのとき妊娠していたんです! 母の人生は悲惨になりました。もちろん私たちの人生も・・・。そんな状況ですから私たちは勉強も手につかず、母は別の男を頼るようになりました。そのとき、私は両親を今までにないほど憎みましたよ。「なんて無責任なの!」って。でも、祖父母は私たちに「両親を憎んではいけないよ、どんなことがあっても親は親なんだから」と言い聞かせてくれました。

それから何ヶ月かたって、両親は色々話し合った末にお互い和解しました。父の仕事も安定して、ちゃんとお給料をもらってこれるようになり、父はよく私たちをショッピングモールやファーストフードに連れて行ってくれました。でもあのときお母のお腹の中にいた子どもは、残念ながら亡くなりました。あのころは母も鬱病になったりと大変だったんだと思います。

それから何年もたち、父は病気になり、それもどんどん悪化していきました。おまけに、そのときまた母は妊娠していたんです。おまけに母も病気で、それなのに赤ちゃんが生まれるまであと一ヶ月にせまっていました。それでも、その赤ちゃんはなんとか無事に生まれ、それが今一緒に暮らしている幼い弟です。神様ありがとう!

でも、父は病気なのに、そんな私たちの生活費を稼がなくてはいけません。おかげで父の病気はますます悪くなり、私は田舎から再びこのスラムに連れ戻され、父の看病をさせられました。そして、まる一日なにも食べるものがないという経験もさせられました。病床の父はいつもイライラしていて、家族に当たり散らしたり、物を投げたりするようになりました。私は父に平手打ちをされたり、コーヒーの入ったマグカップを投げつけられたり・・・そんなこともありました。それを見かねて、母は再びこのスラムの家に戻ってきました。そのとき母も病気でしたが、なんとか大丈夫になりそうだったので。

それから数ヶ月後に父は死にました。病気のせいで、ガリガリに痩せていました。クリスマスも近い2010年12月6日のことでした。私は心から後悔しました。もっと父と一緒に暮らしたかったんです。もし神様がもう一度チャンスをくれるなら、父と向き合い、父と話し、父に触れて、そして抱きしめたい。もう二度と父を憎まないで感謝し、父に私の思うことすべてを伝えたい。どんなに父を愛しているか、どんなに会いたいか、どんなに一緒に過ごしたいか、どんなに抱きしめてキスしたいかを・・・。私は本当に父を愛していました。

お父さん、とても愛しています。会いたいです。

だから、もしあなたにお父さんがいたら、しっかり時間をとって触れあって下さいね。お父さんを大切にして愛することは、お父さんが生きているときでないとできません。死んでしまったら二度と帰ってこないんですから。