皆さんこんにちは! 私は18歳のフィリピン人で、フィリピンのとある場所にあるスラム街で暮らしています。「スラム」って皆さん知っていますか? 日本にはないと思いますが、スラムというのは貧困街のことで、そこにある家はどれも日本の皆さんの家から比べるとひどいところです。地震が起これば絶対に倒れるし、台風が来れば屋根が風で飛ぶような家です。私のいるスラム街は川沿いにあって、反対側は墓地(おはか)です。そして私の家はお墓の建物の屋根の上にあるんです。私はそこで生まれました。

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私はここで両親に育てられましたが、6歳のときには両親の田舎に連れて行かれました。なぜかというと、両親の仕事の邪魔だったからです。でもおじいちゃんたちは、まるで本当の親のように私たちの面倒をよく見てくれました。

いちばんつらかったのは小学校6年のときです。私の父が病気になり、そして母も病気になってしまったんです。それなのに母は妊娠していて、赤ちゃん(弟)が生まれるまで、あと一ヶ月しかありませんでした。そのときは本当につらかった。私たちは、父と母の薬を買うためにお金が必要でした。それだけでなく、新しく生まれた弟のミルクや食べ物も買わなければならないのです。でも家族の誰も働いていませんからお金なんて全然ありません。そのとき、おじいちゃんたちは家を作るために用意していた材料を売って、お金を作ってくれました。でも、それでさえ十分ではありませんから、私たちは、捨てられてカラカラに乾いてしまった魚をごみ捨て場からひろってきて食べていました。

小学校を卒業したとき、私だけ病気の父の面倒を見るために再びこのスラム街に連れてこられました。そのころはごはんを食べられるのは一日一回でしたが、ときどき一日に一度もごはんを食べられない日もありました。その後、病気だった母も含めて家族全員が、病気の父の面倒を見るためにこのスラム街に戻ってきました。

私の父の病気は日ごとに悪くなり、そして亡くなりました。そのときは本当に悲しくてたくさん泣きました。それはクリスマスの直前だったのに、私たちは父を亡くしてしまったのです。クリスマスというのはフィリピン人にとっては一年でいちばん大切で幸せな時間です。それなのに…

さらにその1年後に、母は他の人と再婚して、私たちを捨てて去っていきました。そのことに私はものすごく傷つきました。母が自分の子どもである私たちよりも、新しい男を選んだからです。

そして私は中学生のときに夫と結婚して、16歳で娘を産みました。私たちの家は狭くて立派ではありませんが、私はここでの暮らしがとても幸せで満足しています。あちこちが壊れて修理が必要で、雨が降ると屋根のすき間や色々なところから水が入ってきて私たちも濡れてしまうほどの家ですが、それでも幸せなんです!