みなさんは田舎(いなか)に行ったことありますか? 住んだことはありますか? そこの暮らしはどうでしたか? 田舎暮らしを想像してみて下さい。もし、あなたの家が山のてっぺんにあったとしたら、どんなに大変か考えられますか? 今回は、小学校時代に暮らしたフィリピンの田舎生活を書いてみたいと思います。

私は町のスラムで生まれ育ちましたが、仕事の邪魔になるからと、6歳の時に両親の田舎にあずけられたんです。そして、そこで祖父母に育てられました。だから田舎の祖父母は私の両親みたいなものなんです。祖父母はいつも、私が学校に行く服や道具など、必要なものをなんでも買ったり用意したりしてくれました。学校行事があるときは、いつも学校に来てくれました。

私の祖父母は、年をとって働くのがきついのに、いつも畑に行って作物の世話をしていました。もちろんそれは食べていくためです。フィリピンでも田舎の生活は楽じゃありません。私の田舎は野菜や果物、トウモロコシなどが豊富な地域でしたが、経済的には豊かではありませんでした。魚や鶏肉やパンを食べることもありましたが、それはお客さんが持ってきてくれたときだけ。でも、そんなときはとても幸せでしたね。

私たちの家は山のてっぺんにあって、幹線道路からは1キロも歩く必要がありました。家は大きくはなかったですが、小さすぎるほどでもなかったです。祖父母はほんとうはもっと大きな家を建てる予定だったんですが、完成しなかったんです。というのも母が病気になり、お金が必要になって、準備していた家の材料を全部売ってしまったからなんです。

一年生から六年生まで、私は成績が学年トップでした。だから表彰されるときは、いつも祖父母が一緒に表彰台に上がってくれたんです。彼らはいつも私や姉が賞を取ったときは幸せそうな顔をしていたのを覚えています。私は祖父母の喜ぶ顔を見ることが生きがいでした。

学校がある日は、いつも午前2時に起きます(まだ真っ暗ですよ!)。そして水を汲みに山を下って、水浴びをして(お風呂ですよ!)、服を洗います。小学生がそんな早起きをしたら、どんなに眠いか想像して下さい! 家からは1キロも山を下り、川に着いたら、どんなに寒くても急いで川の水で体を洗って、服を洗濯して、水を入れる容器に水を汲んで、家まで持って帰るんです。でも帰りは山の上まで坂道を登りますから、どんなに大変だったことか・・・想像できます? 家に着いた頃はすでにクタクタで、疲れ果ててました。それからご飯を食べて、学校に行きました。それが学校がある日の私たちの日課だったんです。

週末や祝日には、私たちの服だけでなく、家族全員の服や汚れ物を洗濯しに川まで下りて行きました。おじいちゃんは若いころ、バスで乗客からお金を集める乗務員をしていました。私の祖父母は、私にとって世界一のすてきな夫婦でした。たとえつらいことがあっても、彼らがケンカをしたり叫んだりしたところを見たことがありません。そのかわり、落ち着いて話し合うのです。

私は祖父母をとても愛しています。私がつらいことがあって助けが必要なときは、いつでもそこにいてくれました。私があまりに早く結婚したので、祖父母をがっかりさせてしまったときでも、彼らは変わらず私に愛情をそそいでくれました。

私たちは経済的には豊かではなかったけれど、愛と幸福には満たされていました。たとえ本当の両親からの愛には恵まれていなくても、祖父母の愛で十分でした。だから祖父母にどんなことがあっても助けてあげたいと思っています。そしていつかは、私たちのせいで完成しなかったあの「夢の家」を完成させてあげたい。なんとしてでも私が手伝って完成させてあげたいんです。

私は祖父母がいない生活なんて考えられません。私にとっては大切な人です。私が田舎から町のスラムに連れ戻されたとき、祖父母は大泣きしました。私たち姉妹と離れたくないといいました。

おじいちゃん、おばあちゃん、いつもとても愛しています。そして、いつか必ずあの家を私が完成させますからね!