あなたにお母さんはいますか? お母さんに育てられるってどんな気持ちですか? お母さんがいつも味方してくれると心強いですか? 今回は、母がいないで育った私たちの気持ちを書いてみます。
私の母は美人でした。母はいつもほほえんでいました(でも歯がないんです・・・)。たとえどんなつらいことにぶち当たっても、いつもほほえんでいました。そして母は私たちのために一生懸命はたらいてくれました。というか、私たちの面倒を見るより、仕事をしている方が好きだったみたいです。だから、母は私たちを田舎の祖父母に預けてしまいました。
以前も書きましたが、母は父をとても愛していました。いくら父に殴ったり蹴られたりしても、です。母はキリスト教で言う「愛の殉教者」(愛のために命をささげる人)なのです。
母がいないで育つことって、簡単な事じゃありません。というか、母親として私たちを育てようとする姿勢を見せてくれないことは、ほんとにつらかったですね。母が何も言わずに私たちの元から去ってからもう4年ですが・・・、それでも私は母を愛しているし、心から会いたいと思っています。たぶん母はとても仕事を愛していたので、ほんの一瞬でも私たちを愛する余裕がなかったんだと思います。そして、父に精神的にも肉体的にも、何度も傷つけられているのに、母は父を愛することをやめませんでした。だから、父が死んだときは母は泣き、そして落ち込みました。
父の死から何ヶ月かたって、やっと母は、私たちの生活費を稼ぐために働き始めました。最初のうちはただ働くだけで、仕事仲間と遊びに行ってしまうなんてことはなかったんです。私はそれがずっと続くのかと思っていましたが、それは少しの間だけでした。その後、母はすっかり遊び人になってしまったんです! いつも友達と遊びに出かけ、まるで10代のギャルのようにふるまっていました。子どもがいることなんてすっかり忘れてしまったかのように・・・。
そして、ついにそのときがやってきました。新しい男ができたのです! 私は母を憎みました。ギャルのように遊んでばかりで、母としての役割を果たしてくれなくなったからです。その当時、私たちが本当に欲しいのは母の愛と、優しさと、そして一緒に過ごす時間でした。でも母はそんなものはちっともくれなかった。私たちはすっかり失望してしまいました。父が死んで、母はいい人になるのかと思っていたのに・・・。だって、父が死んで、残されたのは母と私たちだけなんですからね。
ある日、母が帰ってこないので私たちは心配になりました。・・・でも、そのときから母は近所で新しい男と暮らしはじめていたんです。その日から私たちにお金と食べ物を届けてくれるだけで、家には帰ってこなくなりました。私たちは誰にも頼らず、自分たちの力だけで生きなければならないことに、やっと気づきました。私と姉だけならまだいいのですが、ついこの前母が産んだ3歳になる弟の面倒まで見なければなりません。
私たちは自分たちだけで寂しくクリスマスを祝いました。クリスマスはフィリピン人にとっては一年で一番大切な日なんです(日本のお正月みたいなものですね)。だから、クリスマスも終わりに近づいたある日、私たちは母が新しい男と暮らしている下宿を訪ねてみました。だけど、そこには誰もいませんでした。すでに男とどこかへ行ってしまったあとだったんです。あとでわかったことですが、「イロイロ市」(別の島にある町のことです)に引っ越していたのです! 私たちはとてもショックでした。父も母もいないで、自分たちだけで新年を迎えなければならなかったらです。あとでイロイロ市に着いた母から電話があり、「ここで暮らすことになったからよろしくね!」と言われてしまいました。
なんて無責任なんだ! 私は母に捨てられたとわかって、めちゃくちゃ泣きました。弟もまだ小さいのに親がいないで育つなんてかわいそう。だから今、私たちは弟を私たちのようなつらい目にあわせたくなくて、できる限りがんばって弟を育てています。母が何も言わずに私たちを捨てた2012年12月29日を、私は忘れません。
だから私は母を憎んでいます。彼女はとても無責任ですよね? でも、たとえ憎んではいても、やっぱりとても会いたい。母の抱擁やキス、笑顔、すべてが欲しかった。時が流れてすべてが手遅れになる前に・・・、せめてクリスマスまでには帰ってきて欲しい。
お母さん、今すぐ帰ってきて・・・もう憎まないから。ただ会いたい。
私はこれを読んでいるみなさんに言いたいことがあります。「どんなひどいお母さんでも、憎んだらいけないよ。もし憎んだらお母さんは二度と帰ってこなくなって、さらに許せなくなるからね。お母さんをできるだけ精一杯愛してね、そうしないとあとで後悔するよ!」
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