あなたは今までどんなことがありましたか? 恥ずかしい体験ってあります? 今日は私が一生忘れられない体験のことを書きます。

人には、それぞれ忘れられない体験があると思います。悲しい体験もあるでしょう。幸せな体験も、思い出深いものも、恥ずかしいものもあるでしょう。でも、そういった体験って人生の勉強になるんですよね。

そう、あれは2013年10月15日のことです(私は15歳でした)。マグニチュード7.2の地震が私たちが住んでいるスラムを襲いました。そのとき私はちょうど服を着替えている最中だったんですが、地面が激しく揺れ始めたんです。そして、棚が私の足の上に倒れてきました。私は急いで外に逃げました。そのときは私ひとりだったんですが、夕方になって姉が家に来いと言ってくれたので、そこで一緒に過ごしました。

地震の翌日もまだ余震が続き、私はお腹が痛くなってきました。それも結構ひどくて、どんなかっこで寝てもひどく痛むんです。痛みはその後二日間も続き、三日目に私たちのスラムの牧師さん(町内会長みたいな人です)に相談したら、病院に行って検査してもらった方がいいといいます。そのときかなり顔色が悪かったみたいで、牧師さんは病院に行くお金をくれました。(病院に行くお金もなかったので・・・)

病院に着いたとき、お医者さんが飛んで来ました。どうも顔色がもっと悪くなっていたみたいです。どうやらすぐに診察しないとヤバい感じだったみたいです。すぐに他の建物に連れて行かれて、超音波の検査をうけました。結果は・・・子宮外妊娠だったんです(じつは、そのとき私は妊娠していたんです。そのことは誰も知りませんでした)。赤ちゃんが子宮じゃなくて卵管で育っていると言われました。急いで手術室に連れて行かれ、手術になりました。そのままにしておくと命の危険もあるらしいんです。

手術は無事成功して回復室に移されました。残念ながら赤ちゃんはダメでした。そこで目が覚めたとき、なんとそこに母がいました(私たちを捨てて男とどこかへ行っていた母です)。さらに、夫やおじさん(父さんのいとこ)、姉、おばあちゃん(父のお母さんです)がそこにいました。私は誰も私のことなんて心配してくれる人なんていないと思っていたので、ホッとしました。もしかしたら母は私が妊娠したことで怒り狂っているかも…とも思っていたんですが、私にとっては幸いにも、母はずっと泣きながら私を心配してくれていたんです。最初は父もカンカンに怒っていたらしいですが、でも最後には許してくれたみたいです。おばあちゃんは母に「この子のことをしっかり看病してあげてね」と言い残して、田舎に帰りました。田舎に帰って私の身の回りの物を用意したり、入院のお金をどうにか用意するためです(もちろんおばあちゃんだってお金はないので大変です。病院の費用は高いですから)。

翌日は一人きりだったんですが、高熱が出てたくさん薬を飲まされました。おばあちゃんはまだ来てくれません。手術のあとも激痛で起き上がれず、私は一人で激しく泣いていました。幸いにも同室だった患者さんとそのご主人が私のことを見てくれました。そして私の必要な薬を全部買ってくれたんです。夜になって母がやってきたので、今日大変だったことを言うと、母はまた泣き出しました。母はおばあちゃんが私の面倒を見てくれてると思ったんです。

母は病院のお金を用意するために田舎に帰りました。夫は毎日仕事が終わってから病院に来て、朝まで病室にいて、そこからまた仕事に行く日々。十分に眠れない毎日だったのでつらかったと思います。とてもかわいそうでした。

私も早く治りたくて毎日がんばりました。そして私を気遣ってくれた人たちに少しでもお返しがしたかった。私は、あのときおばあちゃんがしてくれたことを忘れられません。そして、母や父がしてくれたことも・・・。だから今でも私は、彼らがどんなにひどいことをしても決して憎んだりしないで、愛し続けているのです。彼らがあのとき私を見捨てなかったから・・・。私はいつかきっとお返しをしたいと思っています。なぜなら、この体験のおかげで、みんなが本当に私を愛してくれているということを知ったからです。

だから・・・、あなたを愛して心配してくれた人を大切にして下さいね。たとえ、その人たちがあなたにイヤなことをしたとしても、そんな思い出なんて忘れちゃえばいいんですから。